人生の辛い時の友達。~テレビゲーム~


今週のお題「ゲーム」

 

こんにちは。

 

初めてゲーム機で遊んだのが13歳位だったと思います。当時、両親が喫茶店を経営していたので、店内には今やレトロゲームとなっている机がゲーム台になっているインベーダーゲームテトリスのゲームがありました。それも父親に頼んでお金を入れなくても(本当は1プレイ100円)遊べるようにしてもらって夢中で遊んでいました。

 

そして、初めてテレビゲーム(任天堂ファミコン)で遊び始めたのは、15歳の時でした。両親が経営する喫茶店から少し離れた場所に自宅がありました。新しもの好きな父が、ファミコンを買ってきました。多分自分がやってみたかったのだと思うけど、どうやるかが解らないようで放っておかれてました。しばらくしてからそれを一つ年上の姉が、ちゃちゃっとテレビにつなげて一人で遊んでいました。私もすぐに飛びつき二人で遊びました。

確か、一番最初に購入したソフトは「たけしの挑戦状」だったかな?なんかめっちゃくちゃなゲームでマイクに向かって(ファミコンのコントローラーにマイク機能があったんですよ!!)何かを叫ぶと、何かヒントやアイテムがもらえたり。何十分か放置しないと先に進めなかったりと...。今では考えられませんね。

 

その後は、「熱血硬派くにおくん」を買って遊んでいました。バトル系ゲームの走りのようなゲームで相手を倒して次々とクリアしていくゲームです。その中にスケバンと戦うダンジョンがあるのですけど、ドットの”くにおくん”が、(女の子を殴るなんて...)と思っているように見える(私には)けど、最後にはやはりボッコボコにしてクリアし、次のダンジョンに行ってしまいます。ドットのくにおくんは、哀愁たっぷりで泣けました...。その他はドンキーコングや、王道のドラクエシリーズドラクエはストーリーが素晴らしく、感動しながらプレイしました。

 

しかしここで一旦、ゲーム人生から離れることになります。私は高校卒業と同時に、就職するため実家(田舎)を出ました。

 

その後一人暮らしをしつつ、都会で働き続けました。

 

テレビゲームなど、している余裕はありません。

 

実家(田舎)を出てから11年が経っていました。その当時、6年間付き合っていた彼氏はいきなり仕事をやめてプータロー(言い方、古っ!)になり、飼っていた猫は(ペット禁のワンルームマンション)壁を破壊し、修繕費を払わなくてはならなくなるし、どこかの家から夕暮れ時、焼き魚の匂いが漂ってきただけで「今ごろは、私の実家でも家族で楽しく夕飯を食べているんだろうな...。」と泣いていました。

 

そうして都会暮らしに疲れた私は、再び猫とともに実家(田舎)に帰ってきたのでした。

 

そうまでして帰って来た憧れの実家暮らしだったのに、私はまた泣き暮らすことになります。「負け犬のように実家に帰ってきてしまって、私の人生はもう終わりだ...。」と思っていたのですから。そして、とても焦っていました。「何かしなければ、私の人生はこのまま、終わってしまう!」と。

 

私は28歳になっていました。

 

再びゲーム人生を(オタク)まい進することになります。きっかけはバイトでした。地元の大きな本屋さんにバイトに入り、そこでゲームの担当になります。再びテレビゲームと出会います。しかし、テレビゲーム事情が激変していました。ゲームボーイプレイステーションドリームキャストなどの華やかなハードが次々と発売され、まさに飛ぶように売れていました。

 

仕事は確かに、楽しかったです。しかし、私はこんな田舎で終わるのは嫌だった。

 

華やかな新しいゲームが次々と出る中、私が当時プレイしていたのはスーパーファミコンセガサターンでした。そう、まさにアナゴ状態になっていたのです。朝から晩まで時間を忘れてプレイしました。毎日毎日。時にはRPGゲームの中の主人公と自分を重ね合わせて涙することもありました。気の遠くなるような膨大な時間の中で、悩みを忘れてゲームに没頭する。ゲームが無かったら私は気が狂っていたかもしれません。その当時はゲームが全てでした。その時はそれで良かったと思います。

 

結婚することになり、再び都会へと出ることになるまで冬眠状態の中、心の支えになってくれたのは、紛れもなく ”ゲーム” でした。

 

今、コロナの影響で辛い立場に立たされている方達。ゲームに逃げるとか思わず、楽しい方向に自分を甘やかす方向に浸らせてあげるのもたまには良いと思います。

 

いずれサナギが蝶になるように、明るい空の下で羽ばたきたくなる時がきっと来ますから…。

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色々なゲームをプレイしましたが、私の歴代1位はセガサターンです。